アシモフの代表的SFシリーズであるファウンデーションシリーズは、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をヒントにした、未来の宇宙における巨大な銀河帝国の崩壊と再生の物語である[37]。
1942年に第一作『ファウンデーション Foundation 』がアスタウンディング誌に掲載、以後1949年までに中短編の形で同誌で発表され、後に(『ファウンデーション 』Foundation、1951年)、『ファウンデーション対帝国』 Foundation and Empire 1952年、『第二ファウンデーション 』Second Foundation 1953年)の3冊に纏められた。現在は「初期3部作」と呼ばれるこの3冊は1966年にヒューゴー賞過去最優秀長編シリーズ賞を受賞した。
1982年、30年の時を経ても鎮まらないファンや編集者の続編を求める声に遂に抗えなくなったアシモフは、遂に新作『ファウンデーションの彼方へ Foundation's Edge 』を発表、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに名を連ねると共に、1983年のヒューゴー賞長編小説部門を受賞した[40]。以後その続編『ファウンデーションと地球 Foundation And Earth 』(1986年)、時代を遡りハリ・セルダンの半生を描いた『ファウンデーションへの序曲 Prelude to Foundation 』(1988年)、『ファウンデーションの誕生 Forward the Foundation 』(1992年)が書かれ、後述のロボットシリーズとの世界観の融合もなされた。
アシモフの死後、著名なSF作家の3人(グレゴリー・ベンフォード、デイヴィッド・ブリン、グレッグ・ベア)が続編として『新・銀河帝国興亡史』3部作を発表した。
ロボット
ロボットものもファウンデーション3部作と同じ頃に書き始められた。その多くは後に短編集『われはロボット I, Robot 』(1950年)、『ロボットの時代』として出版された。この作品群により、ロボット・人工知能の倫理規則(いわゆるロボット工学3原則)が世に広められた。この規則は、他の作家や思想家がこの種の話題を扱うに際して大きな影響を与えている。『バイセンテニアル・マン The Bicentennial Man 』(1976年)は1977年のヒューゴー賞 中編小説部門[41]と1976年のネビュラ賞 中篇小説部門を受賞し[42]、1999年に『アンドリューNDR114』というタイトルでロビン・ウィリアムス主演の映画になった。この一群の作品は、ロボットがどんどん進化して行き、人間と変わらないような存在になっていく流れを描いているが、日本の翻訳家・評論家の伊藤典夫は、「これはアシモフの自伝的な作品群だ。頭がよすぎてまるでロボットのようなアシモフが、少しずつ人間の感情を理解していく様を描いている」と評した。
一連の作品は、ロボットが一見して三原則に反するような行動を取り、その謎を解決するというミステリ仕立ての作品が多く、中でも長編『鋼鉄都市』と続編『はだかの太陽』は、3原則の盲点を利用した巧妙な殺人トリックを描いたSFミステリの傑作としても知られている。[43]
ファウンデーションとロボットの2つの潮流は、『ロボットと帝国』(1985年)によってひとつの未来史としてまとめられた。
ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ
専業作家以降
1958年にボストン大を辞して専業作家となったアシモフだが、増加した執筆時間は専らノンフィクションの分野に向けられる事となり、SFの執筆量は却って激減した。それでも(何とか彼にSFを書かせようという編集者の努力もあって)短編を中心に年に数作は書いており、ファンの「何故SFを書くのを止めたのか」との問いにも「決して止めてはいない」と繰り返し答えている。
アシモフはテレビ番組化されることを期待して、『天狼星の侵略』(1952年)などジュヴナイルの長編小説「ラッキー・スター」シリーズを執筆、この際に低品質なテレビ番組になる場合を懸念してポール・フレンチという筆名を用いた[44]。結局TV化は実現せず、後期の作品ではロボット工学三原則を出すなどして自ら正体を示唆し、再版時には実名に戻している。 アシモフは、「編集をせずとも、自動的に収録される作品が決まる」アンソロジーである『ヒューゴー賞傑作集』の形式上の「編者」として、収録各作品の前にユーモラスなエッセイを書いた。これは、アシモフがその時点でヒューゴー賞を受賞していなかったために「編者」に選ばれたのだが、1963年にSF雑誌F&SFの科学のコラムによる功績で初めてヒューゴー賞を受賞[45]した後もひきつづいて「編者」を務めた[46]。
さらに異星人とセックスの要素を含む『神々自身』(1972年)でヒューゴー賞 長編小説部門[14]とネビュラ賞 長篇小説部門[15]を受賞した。1992年の「ゴールド-黄金」でもヒューゴー賞 中編小説部門を受賞した。
1977年には彼の名前を冠したSF雑誌「アイザック・アシモフズ・サイエンス・フィクション・マガジン Isaac Asimov's Science Fiction Magazine 」が創刊された(現在の誌名は「アシモフズ・サイエンス・フィクション Asimov's Science Fiction 」)。アシモフ自身は編集には関わっていなかったが、巻頭のエッセイと読書投稿欄のコメントを担当していた[48]。
マーチン・グリーンバーグらと共同編集のアンソロジーも多数発表しているが、アシモフは編集作業にはほとんどタッチしておらず、名義を貸しただけと推測される。ただし、必ずユーモラスな前書きを書いて、それらのアンソロジーに花を添えている。
推理小説
アシモフはしばしばSFにミステリの手法を用いる一方で、純粋なミステリ作品も執筆しており、重要な推理小説作家の一人でもある。
純粋なミステリの代表作は『黒後家蜘蛛の会』シリーズである。『黒後家蜘蛛の会』は、ほぼ純粋なパズル・ストーリーであり、殺人事件さえめったに起こらない。題材は盗まれた物や遺産を得るための暗号の解読、忘れてしまった地名の推測など、より日常的な問題である。解決にはヘンリーの(つまりアシモフの)該博な知識が使われる。
『黒後家蜘蛛の会』はすべて短編であり、1972年2月号の『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に第1作「会心の笑い」が発表されてから断続的に合計66作が書かれた。60作は5冊の短編集として出版され(邦訳有り)、残りの6作はアシモフの死後、The Return of the Black Widowers(2003年)にまとめられた。
アシモフは『ユニオン・クラブ奇談』というシリーズも書いている。これはクラブで語られるパズル・ストーリー。『黒後家』と違うのは、『黒後家』の名探偵役ヘンリーが人格円満で謙虚な人物であるのに対して、『ユニオン・クラブ』の名探偵役グリズウォルドが傲岸で偽悪的な人物という点である。しかし全体的な構成やトリックは似ている。アイディアを使うという点で2作は競合関係にあって、『ユニオン・クラブ』執筆中は『黒後家』の執筆は進まなかった。
『黒後家蜘蛛の会』『ユニオン・クラブ奇談』シリーズには長編作品はないが、アシモフは長編ミステリーの『ABAの殺人』『象牙の塔の殺人』を書いている。
ノンフィクション
SF作家、推理小説作家として知られるアシモフは、ユーモラスな科学エッセイも多数書いている。なかでもファンタジー&サイエンス・フィクション誌に連載されていた科学エッセイは400編以上を数え、テーマも物理・天文・化学・生物学・科学史など多岐にわたっている。幅広い分野での初心者向け解説書の著作も多く、その博学ぶりは彼の様々な作品に生かされている。「人間は無用な知識の数が増えることで快感を得る事が出来る唯一の動物である」という言葉が、日本のテレビ番組「トリビアの泉」の冒頭でアシモフの言葉として紹介されたが、具体的な出典は示されていない。
1954年に出版した10代向けの生化学の本『生命の化合物』以来、アシモフは大衆向けの科学の本も執筆していた。1957年、ソ連がアメリカに先駆けて初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げると、いわゆるスプートニク・ショックによってアメリカ国内で科学に対する関心が高まり、一般向けの科学解説書のニーズが急増した。アシモフはこれに応える形で多数の科学解説書を執筆し、ノンフィクションに執筆活動の中心を移して行く契機となった[49]。
科学全般について大衆向けに書かれた『知識人のための科学入門』(1961年)はニューズウィーク等の書評から好評を受け、全米図書賞ノンフィクション部門にノミネートされた。アシモフはこの本によって科学の解説者としての地位を向上させた[50]。
1969年、アポロ11号が月に到達した時、アシモフは、既になくなっていた「ロケット工学の父」ロバート・ゴダードに向かって、「ゴダードよ、我々は月にいる」という言葉を向けた。この言葉は、独立戦争でアメリカ合衆国の側に立って戦ったラファイエット侯爵の永眠するフランスの地で、第1次世界大戦時に米軍将校が発したとされる「ラファイエットよ、我々はここにいる!」という言葉を踏まえたものであろう[51]。
アシモフは2冊に及ぶ Asimov's Guide to the Bible(アシモフの聖書入門)を著した。第1巻(1967年)は旧約聖書を、第2巻(1969年)は新約聖書をそれぞれ扱っている。後にこの本は1300ページに及ぶ1冊の本にもまとめられた。地図と図表をふんだんに用いたこの本では、おのおのの歴史やそれに関係する政治的影響、また重要な歴史上の人物についての説明を行いながら、聖書という本を体験できるようになっている。
聖書以外にも歴史の解説やシェイクスピアなどの文学の解説、趣味である滑稽五行詩(リメリック)についての著作もあり、科学とは関係ない分野でも多数の作品を残した。
彼はまた、3冊の自伝も書いている -『アシモフ自伝I』(In Memory Yet Green 、1979年)、『アシモフ自伝II』( In Joy Still Felt、1980年)、I, Asimov: A Memoir(1994)。この自伝は非常に大分量のもので、アシモフの生涯のできごとや作品と、それによる収支まで詳細に書かれたものである。この自伝について、イギリスの作家マーティン・エイミスにインタビューされた時にアシモフは、「この自伝は『私という存在であることが、どういうことであるか』を、よくわかってもらえるように、正直に露悪的に書いた。私は、あまりに頭がよすぎるので、普通の人のように振舞うのは、非常に努力が必要なのだ」と答えた。
3番目の自伝、I. Asimov: A Memoirは1994年4月に出版された。この本のエピローグは彼の死のあとまもなく、彼の後妻であるジャネット・アシモフによって書かれたものであり、1995年のヒューゴー賞ノンフィクション部門を受賞した[52]。他にも『木星買います』『アシモフ初期作品集』などのSF短編集でも、収録作品の前書きに代えて執筆当時の自身の状況を詳細に記している。
他にも彼の日ごろからの社会的主張もいくつかのエッセイにまとめられている-『考えることを考える Thinking About Thinking 』『Science: Knock Plastic (科学 : プラスチックをたたく)』(1967年)など。
代表的著作
SF
長編
1950年 - Pebble In The Sky(邦題:『宇宙の小石』)
1951年 - The Stars, Like Dust(邦題:『暗黒星雲のかなたに』)
1951年 - Foundation(邦題:『ファウンデーション』)
1952年 - Foundation and Empire(邦題:『ファウンデーション対帝国』)
1952年 - The Currents of Space(邦題:『宇宙気流』)
1953年 - Second Foundation(邦題:『第二ファウンデーション』)
1954年 - The Caves of Steel(邦題:『鋼鉄都市』)
1955年 - The End of Eternity(邦題:『永遠の終り』)
1957年 - The Naked Sun(邦題:『はだかの太陽』)
1966年 - Fantastic Voyage(邦題:『ミクロの決死圏』)
1972年 - The Gods Themselves(邦題:『神々自身』)
1982年 - Foundation's Edge(邦題:『ファウンデーションの彼方へ』)
1983年 - The Robots of Dawn(邦題:『夜明けのロボット』)
1985年 - Robots and Empire(邦題:『ロボットと帝国』)
1986年 - Foundation and Earth(邦題:『ファウンデーションと地球』)
1987年 - Fantastic Voyage II: Destination Brain(邦題:『ミクロの決死圏 2 - 目的地は脳』)
1988年 - Prelude to Foundation(邦題:『ファウンデーションへの序曲』)
1989年 - Nemesis(邦題:『ネメシス』)
1993年 - Forward the Foundation(邦題:『ファウンデーションの誕生』)